2019年5月16日木曜日

視覚技塾 −自立した視覚障がい者を育む教育とは−のご案内

皆様

viwa事務局です。

6月の視覚技塾は、人はどのようにして自立への道筋をたどっていくのか、ちょっと、壮大ですが、将来を見通した支援をするためには必要不可欠な観点について一緒に考えたいと思います。
教育歴や視覚障がいの状態も異なる当事者の方を複数お招きして、自立に向けて、学齢期に何をどのように教えたらよいのか探りたいと思います。幼稚部から高等部、盲学校の先生から地域の療育や弱視学級等の先生方まで、どんな方でも参加を歓迎致します。

ぜひ、お誘いあわせの上、ご参加ください。

- 記 -
テーマ:自立
日時:2019年6月15日(土)10:00-12:00
場所:愛知県立名古屋盲学校
主催:視覚障がい者ライフサポート機構“viwa”
参加費:1000円(講師及びボランティア交通費等)
定員:20名
※定員になり次第、受付を終了します。
申込:info@viwa.jpへ下記の内容を入力の上、お申し込みください。
件名:視覚技塾 自立
本文:
氏名(漢字とふりがな)
電話番号
所属
事前質問(何か事前に質問があればお書きください)

アドバイザープロフィール
①ニックネーム、②視力の経緯、③学歴、④仕事について


①ニックネーム:あずさ

②視力の経緯
先天性白内障、5歳時より数度の手術をするも視力はあまり上がらず、現在は矯正で右0.08、左0.02。眼振あり。視野には異常がないが、中心部以外はあまりよく見えていない。

③学歴

弱視の母と弱視(のちに失明)の父との間に生まれる。普通校への通学を希望するも学区の小学校には入学を拒否され、弱視学級のある隣町まで電車通学。4年次に地元へ転校できたもののクラスに馴染めず、別の小学校へ再転校する。地元での進学が嫌になり中学は私立を受験、授業では教科書を使わない自由な校風の私立校で中学・高校時代を過ごす。学校では席を中央最前列に固定し、斜面台机を設置してもらっていた。拡大写本教科書なども使用した。一般大学を中退し、22歳で就職。

④仕事について

大手化粧品会社の子会社に事務員として10年勤務。仕事内容は代表電話の応対、事務用品・パソコンなどのOA機器管理、社内IT窓口業務、社用車・リース用品契約、転出入社員や退職者への対応、社内会議運営補佐など総務全般。現在は国立職業リハビリテーションセンターにて職業訓練を受講しながら再就職先を探している。

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 ①ニックネーム
 ひで
 
 ②視力の経緯
 母親のおなかの中にいるときに前眼部の発育が不全なまま生まれてきた。
 大人になってから「ピーターズ奇形」という病名を聞きました。
 
 視力は小学校2年生頃までは右0.04、左0.01。
 中学生になるころには両眼とも0.01になる。
 
 30代のころに4度の角膜移植を受けて一時的に視力が向上するが、
 拒絶反応のために移植前の視力に戻る。
 
 現在の思慮kは右0.01、左は0。
 
 
 ③学歴
 小学校は地元の一般の小学校に通っていました。
 2年生の秋ごろから弱視通級指導教室へ通うようになり、
 4年生からその小学校へ転校しました。
 
 弱視学級で単眼鏡、ルーペ、拡大読書器の使い方を一通り教えていただきました。
 
 中学・高校は筑波大学付属盲学校へ通いました。
 中学への入学と同時に点字で授業を受けるようになりました。
 中学1年から2年にかけて、国語や美術、部活などの時間を点字の学習に充てていました。
 
 高校3年生になるとき、大学受験は墨字で受験したいと考えていました。
 数学が好きで数学科を受験しようと思っていましたが、数学の試験をすべて点字で受けるのは不安があったためです。それよりも拡大読書器を使って墨字で回答するほうが早いと思っていました。
 英語や数学、物理の勉強は自分で拡大読書器をつかってしていましたが、どうしても古典や漢文の勉強だけができず、担任と相談して、国語の授業だけ墨字のクラスで受けることにしました。
 
 高校卒業後、一浪して東京都立大学理学部数学科に入学しました。
 大学には視覚障害のある先輩がすでにたくさんいらしたので、すでに図書館に拡大読書器が設置されていたり、TAの方が本を探してくれたりしました。 
 
 大学卒業後、東北大学大学院情報科学研究科に半年だけ通いましたが、経済的な理由で中退しました。
 
 ④仕事について
 
 現在は自営業です。仕事は主に以下の2つです。
 
 (1)ウェブアクセシビリティに関するコンサルティング
 
 - 企業や自治体のウェブサイトについて、視覚障害者の立場から問題点の指摘と改善の提案
 - サイトの新規立ち上げやリニューアルの際の支援
 - 小規模なサイトの制作
 - ウェブアクセシビリティに関するJISへの対応の支援及び、JISの普及啓発
 - ウェブアクセシビリティ研修の講師 など
 
 (2)ロービジョンの子にも使いやすくかわいい・かっこいいノートKIMINOTEの企画・開発
 
 - 2014年からノートの企画・開発をしています。クラウドファンディングで資金を集めて2000部を制作し、全国の盲学校と弱視学級にプレゼントしました。
 - その後展示会などで意見を伺いながらブラッシュアップしたり、バリエーションを増やしたりしています。
 
 自営業を始めてもうすぐまる8年になります。
 基本的には一人で自宅で仕事をしています。

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①ニックネーム
むぎ、女性、29歳

②視力の経緯
先天性緑内障で、小学校から高校2年生にかけての視力は右0.04、左0、高校2年生の夏に視力が低下し始めしばらく0.01で推移していたが、大学卒業直前に白内障の手術をした結果、右の視力が0.09まで回復。しかしその2年後、緑内障の進行と白内障の再発により現在は手動弁となっている。

③学歴・職歴
小学校修学前は地元長崎の盲学校の幼稚部に通った後、一般の保育園を卒園。小中学校時代は基本的に盲学校に通いつつ、週一回一般の小中学校に交流学習にいかせてもらっていた。たまたまクラスが1人だったため自立活動等の内容に自由が利き、漢字の書き取りや単眼鏡の使い方、簡単な点字の読み書き、パソコンのブラインドタッチなどを教わる。
高校は筑波大学附属特別支援学校へ進学、20人弱で教科学習ができることに感動する。高校2年生の夏ごろ視力が低下し、夏休みに簡単な小説を読むことから点字切り替えを始める。多くの補習を組んでもらった結果、高校3年生の11月に大学の推薦入試で小論文を書ける程度の技術は習得。大学を5年かけて卒業した。
その後、現在の勤務先である保険代理店に一般事務として就職。大学卒業直前に視力が回復したため、当初は拡大読書器などを用いて書類を扱う仕事をしていたが、入社3年目に視力が急激に低下、職場の理解の下新しい音声ソフトの導入や職業訓練の受講の許可を得ることができ、もともと担当していた人事関連の業務のうち、ワードやExcel、インターネットを用いて行える業務に移行させてもらい、書類が扱えない部分を専門性で補うべく、人事労務関連の勉強を続けている。

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①ニックネーム:たにやん

②視力の経緯

晴眼者として生まれ、 23 歳の時に網膜剥離で弱視となる。左は手動弁、右は 0.3 で左右視野 5 度。

③学歴

大学まで普通校。卒業直前に弱視となるが、特に学校側から配慮は受けなかった。

④仕事について

東芝エレベーターという会社で開発業務を行っている。

基本はデスクに座ってのパソコン作業。会議出席は週に数回、出張は数ヶ月に 1 回程度。

パソコンは Windows の拡大鏡などを使っている。

業務内容は、新しいシステムを考案し特許として出願するなどの創作活動、 CAD を使っての機械製図や回路設計、プログラムのデバッグ、古いシステムの代替開発など。

視覚障害者として新製品の評価をすることもある。評価だけでなく、大学との共同研究に参画し、開発段階から関わったこともある。

たまに下請けメーカーの工場監査を行う。晴眼者のサポートは必須。
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①ニックネーム   さゆり

②視力等
生後数ヵ月で網膜芽細胞腫と診断され、その後右眼球摘出により義眼、左は眼鏡矯正で0.2

③学歴
小学生から高校普通科まで宮崎県立盲学校に在籍
その後2年間スーパーに就職
退職後宮崎県立盲学校専攻科に入学しマッサージ師免許を取得

④仕事
訪問マッサージ  2014~2017
・高齢者施設及び個人宅へ行き、機能回復を目的としたマッサージ施術+リハビリ訓練

ヘルスキーパー  2017~現在
・1日8時間のフレックスタイム
・PCによるカルテ、予約管理
・1日最大6人施術(1人40分)



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①名前:まっちゃん

②視力の経緯

未熟児で生まれ、弱視で育ち、 7 歳で右目の視力を失う。左目は 0.2 ~ 0.4 くらいの視力を維持していたが、 27 歳のお正月に緑内障が進行し現在は光覚あるかない程度。

③学歴

大学までは普通校に通い、卒業後マッサージの資格を取るために筑波大学附属視覚特別支援学校に在籍。大学の専門は会計学。

④仕事について

・訪問マッサージ‘ 2011.3 ~ 2013.2 ’

・ヘルスキーパー、‘ 2013.4 ~現在’

弱視で訪問マッサージをしていた。転職後も最初は視力を維持していたが、徐々に低下した。その時に様々な訓練を受ける。

現在は博報堂の特例子会社で働き、より良い労働環境で視覚障碍者が働けるように社内・社外に情報発信している。また社内に当事者の事務職(SEなど)もおり、連携を図っている。

ぜひ、一緒に学びましょう。

viwa事務局

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