皆様
こんにちは。viwaの奈良里紗です。
今回は、いつもとは少し違った視点で書いてみます。
こんな経験ありませんか?
��.「白杖(はくじょう)は人目が気になるからもちたくない」
��.「みんなと同じ教科書がよいから拡大教科書(点字教科書)は使わない」
��.「メガネはださいから、コンタクトにしたい」
これらは全て「~したい」と思っていることですから、
自分で判断し、それを遂行する「権利」があると思います。
ところが、これらにはそれぞれ権利を主張し勝ち取ることによって
生じる「責任」もあります。
��だったら、
白杖を持っていれば事故にあうリスクも少ないですし、
万が一、事故にあっても相手に責任が生じることが多くなります。
ところが、白杖をもっていないで事故にあった場合、
「目が悪いのに、白杖をもって歩いていないほうが悪い」
となってしまい、自分を守ることができません。
��だったら、
配慮を受けるかどうかの選択権限は本人にありますが、
配慮を受けずに成績が下がっても、学校のせいにはできません。
��だったら、
メガネではなく、コンタクトにするリスクを理解した上で、
コンタクトにする必要があります。
例えば、目の病気によっては、コンタクトにすることで悪化することも考えられます。
悪化してもよいから、おしゃれでいたいと思い、コンタクトにし、
視力が悪化してもそれは自己責任でしかありません。
視覚障がい当事者、あるいは保護者は、
何かの判断をするとき、あるいは、主張をするとき、
それによって生じる「責任」についても考えてみてくださいね。
そして何より、こういったリスクを
本人や家族が十分に理解し、話し合った上で
それを行うことが大事だと思います。
視力は悪化させないほうがよい
というのは誰もが思う正論です。
でも、視力が悪化してもよいからやりたいこと、
挑戦したいことがあることもあります。
視力を失うことで、自分の決断を後悔するかもしれません。
でも、もしかしたら、視力もかわらず、充足感を得られるかもしれません。
色々な可能性を踏まえて、最終的な決断は本人にゆだねられます。
必ずしも、正論と同様の道を歩まないこともあるでしょう。
でも、それが納得の上のことでしたら、それを応援、サポートしてあげてほしいなとも思います。
結論のでない話題ですが、
それぞれに考えてもらいたいなと思って
話題提供をさせてもらいました。
あなた自身に今決断が迫られていることはありませんか?
viwa 奈良里紗
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